5/20 ボクシング観戦 in 有明コロシアム 

f:id:tama-gb:20170521020848j:plain

 

ボクシングの生観戦は久々で、ほぼ半年振りくらい。5/20、ついに村田の真の実力が明らかとなる、日本ボクシング界にとって重要な日です。しかも、世界戦が3連発!

行くっきゃないでしょと思い、ぴあでチケット買って観戦してきました。

●ガニガン・ロペス(判定2-0)○拳四朗

サウスポー王者に大苦戦!

 オーソドックスの拳四朗は右ストレートを、サウスポーのロペスは左ストレートを如何に当てるかがカギでしたが、拳四朗は右ストレートが悉く外されてしまい、空振りが目立つ。左を軸に試合を進めるが、与えたダメージは明らかに王者に軍配が上がる。このままだと、後半に逆転されるかも・・・

流れを止めた8Rの「右ボディ」

主導権を奪い返したのは8Rの右ボディ。通常は右ボディはダメージにならないことが多いが、このパンチで一瞬、王者の動きが止まる。これにより、ロペスの左パンチに切れが無くなり、後半の伸びが若干悪くなった。ボクシングは、この「若干」が重要なファクターとなる事があり、僅差の採点勝ちを掴む要因になりました。

自己採点は115-113で拳四朗。この内容なら2-0の判定も妥当。

これでライトフライ級は日本人4人が世界王者独占

ライトフライ級はすでに3人の日本人王者が存在。さらに拳四朗が勝利したため、まさかの日本人による世界王者の独占を達成。明日の八重樫の結果次第では、ライトフライ級の世界王者トーナメントなんてことも!?

●ファン・エルナンデス(KO 6R)○比嘉大吾

 エルナンデスはまさかの計量失敗。なのにエルナンデスの方が有利!?

王者のエルナンデスは前日計量で200gオーバーしてしまい、再計量もパスできなかったことから、王座剥奪。これにより、比嘉が勝利すれば王者獲得、敗退すれば王者空位という状態に。となると、モチベーション的に比嘉が有利かといえば、むしろ逆。

 最近では、世界戦で王者が減量に失敗した場合、計量をハナから諦めて剥奪されるケースが目立ちます。世界王座は4団体もあるので、剥奪されても試合で圧倒すれば次のチャンスが巡って気安いという背景からでしょう。減量せずに戦えば、体格的に有利な状態で戦えるのも一因ですね。

広いリングを広く使うエルナンデスと、追いかける比嘉の展開

実は今日のリングはかなり大きく(7m以上)、村田戦でのヌジカム側の要求と言われています。このリングでは、フットワーク主体のエルナンデスが優位で、事前予想通り、スイッチを多用しながらリングをぐるぐる回るエルナンデスと、追いかける比嘉という展開が繰り広げられました。

比嘉の踏み込みは強烈!エルナンデスの足を止めてフルボッコで王座獲得!

2Rに比嘉がエルナンデスを捉えて左でダウンを奪うものの、ダメージは無い様子。4Rまではエルナンデスが若干リード。勝負が決まったのは5R、強烈な踏み込みからの左で再度ダウンを奪います。今度は明確にダメージを与えた比嘉は、足の止まったエルナンデスをサンドバック状態でタコ殴りに。エルナンデスは脅威の粘りを見せるも、6R終了間際に力尽きます。勝利した比嘉は13戦13勝13KOのパーフェクトレコードで新王者に。同フライ級の王者、井岡との王座統一戦も期待されるところです。

比嘉は和製「ロマゴン」?

比嘉は、判定の多い軽量級には珍しいパワーファイター。特にすばらしいのは、体制を維持したまま強打が放てることです。これが出来るのが、軽量級のスター「ロマゴン」ことローマン・ゴンザレス。左右のボディを軸に強打を連発できる点も非常に似ています。まだまだ経験値が浅いのですが、今後の展開が非常に楽しみです。

ということで、現時点でも経験豊富な井岡と対等に勝負できる存在と言えます。

○ハッサン・エンダム(判定2-1)●村田諒太

終始ペースを握っていた村田、誰もが勝利を確信したが・・・

強豪との対戦が無いまま世界挑戦したため、ミドル級金メダリストながらも実力に疑問符の声が多かったのが前日までの村田の評価ですが、試合内容は村田が強豪エンダムに引けを取らず、むしろ終始優勢に。

1~3Rは様子見で極端に手数を減らしていましたが、これは予想通りの展開。エンダムは前戦の1Rに強烈な右フックでワンパンチKOを成し遂げており、序盤から飛ばしてくることが想定されたためです。また、エンダムはアッパーも得意で、距離感の無い序盤の村田は左を極力抑えて、被弾を避けていました。

試合が動いたのは4R。カウンター気味の右ストレートがドンピシャで入り、エンダムは溜まらずダウン。以降は、右がズバズバ入る村田と、避けるのに精一杯なエンダム。誰が見ても勝敗は明らかでしたが・・・

有効打はおろかアグレッシブさも無いエンダムが「大差で優勢」!?

村田の判定勝ちが明確だったため、12R終了直後に、電車の混雑を気にして帰宅しだす人がぞろぞろと。こんな楽勝ムードのなか、まさかの「2-1でエンダム勝利」のコール。会場には悲鳴、どよめき、罵声が飛び交う異常な雰囲気に。

ネットでは「手数が少ないから判定は妥当」との声もありますが、それは違いますね。まず、ボクシングの判定は「有効打」「手数」「防御」「主導権」の4要素が基準となり、特に有効打が重視されます。さらに「手数」は、ただパンチを出していれば言い訳ではなく、前進を伴うアグレッシブさ(=攻勢であるか)を判断します。

エンダムは4R以降、有効打が殆ど見られないどころか、下がりながらガードの上をたたくパンチしか放てず、手数が多いとも見なされません。判定が妥当とする人は、ボクシング観戦が浅い人が、只の天邪鬼かのどちらかでしょう。

9Rから12Rの判定が焦点

ジャッジシートを確認すると、勝敗を分けた、即ち評価が分かれたのが9~12Rのポイントです。

全体として、1~3Rがエンダム、以降は村田というのが妥当なところ。自分の採点も117-110で、村田勝利としたジャッジとほぼ同じ。エンダム勝利の2者も8Rまでは似たような内容なのですが、大きく異なるのが9Rからの採点。村田勝利のジャッジはこの間を全て村田優勢としていますが、残り2者はなんと全てエンダム優勢に。4ラウンドもの採点が真っ二つに割れることなど、そうそう有りません。

例えば9Rのエンダムは終始防戦一方で、そもそもの手数も落ちていましたが、このラウンドをエンダム優勢と判断したジャッジがいたことに驚きを隠せません。

過去の「疑惑の採点」の場合は「見方によってはありえる」パターンがほとんど。近年では、手数が少ないがカウンター気味に有効打を当てる消極的なボクサーが僅差判定で勝利した場合に「不可解」と言われるケースが多いです。今回のように、有効打が無く下がり続ける選手が、大幅に判定が分かれた挙句に勝利するなんて、あまり見られません。

WBA会長ですら疑問を投げかけている

海外のネットの反応を見ても、今日の判定結果に疑問を投げる声が多く届いており、その一人は、なんとWBAのメンドーサ会長。

117-110は僕の採点と全く同じで、これが普通の感覚です。恐らくは、ダイレクトリマッチが組まれるでしょうが、じゃあ次は勝てるかといえば、言い切れないのがボクシングの世界。村田にとっては明確に勝利した試合を負けにされ、さらにリスクを負わなければいけない、次戦までモチベーションが保てるのか心配です。

負けても村田の評価が上がった

残念ながら、戦跡には「1敗」が付いてしまった村田ですが、ボクシング界では逆に評価が上がったのではないでしょうか。近年のボクシングは「勝ったこと」よりも「誰にどういう内容だったか」が重視される時代です。最近の例だと、名選手ゴロフキンを追い詰めたダニエル・ジェイコブスは僅差判定負けながらも逆に評価が高まりました。

村田はこれまで強い相手と戦っておらず、戦績は綺麗だが評価しにくい選手でした。しかし、今日の試合で強豪クラスのエンダムを明確に上回る能力であることをハッキリと示しました。少なくとも、これまでの「ハリボテの戦績」「全く通用しない」という評価は、今後は無くなるでしょう。

 

「二人称小説=ゲームブック」って定義しちゃってもいいよね?

ゲームブックと「かまいたちの夜

よく「ゲームブック・・・ああ、かまいたちの夜ね」と言われることがあります。というより、ゲームブックが分からないって人に説明するときに、面倒くさくて、つい「かまいたちの夜みたいなやつ」と言っちゃうことがあります。

かまいたちの夜だってゲームブックだ」って言えなくもないんですけどね・・・実は、かまいたちの夜と(一般的な)ゲームブックには、大きく異なる点があります。それはなんでしょう?

 

答え:かまいたちの夜は主人公「透」視点の一人称で書かれているが、一般的なゲームブックは「読み手」視点の二人称で書かれている。

 

 人称が全然違うんですよね。かまいたちの夜は主語が「ぼく」なんですけど、ゲームブックは普通、主語が「君」「あなた」となります ※「ぼく」の一人称ゲームブックもあるって言えばある(はず)。

 人称とは

小説における人称とは、すごーくざっくりと言うと「語り手(地の文)の視点(主語)」です。もっと丁寧な解説は小説執筆講座のサイトを探して見てくださいね。

各人称の小説について簡単に説明しましょう。

一人称小説とは

一人称小説は、「僕」「私」「俺」などが主語となる小説です。例えば「吾輩は猫である」がそうです。

吾輩は猫である。名前はまだ無い。
 どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た・・・

夏目漱石 吾輩は猫である 青空文庫より

日本人なら皆、読んだことがある(よね?)この小説の主語は「吾輩」。名前が無い猫の視点で書かれています。

三人称小説とは

三人称小説は「(登場人物名)」や「彼」「彼女」などが主語となる小説です。例えば「走れメロス」がそうです。

メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。メロスは、村の牧人である・・・

太宰治 走れメロス 青空文庫より

 日本人なら皆、読んだことがある(よね?)この小説の主語は「メロス」。登場人物とは異なる第三者の視点で書かれています。

二人称小説とは

 二人称小説とは「君」「あなた」などが主語となる小説です。例えば・・・って、例えに出せるほど有名な小説が殆ど無いんですよ。しょうがないので、拙作ですが、僕のゲームブックbotから引っ張ってきましょう(という体の宣伝)。

君はこの村の住人。ある日、たった一人の肉親である妹が生贄に選ばれ、洞窟に捧げられてしまった。君は妹を密かに取り戻すことを決意し、今まさに洞窟へと忍び込もうとしている・・・

qiita.com

 

 日本人なら皆、読んでほしい(ほしい!)この小説というかゲームの主語は「君」。読み手が主人公であるとして、読み手の視点で書かれています。

二人称小説は存在しない?

世の中では二人称小説を殆ど見かけません。「小説の手法に二人称など無い」と言われても納得してしまいます。

いや、そりゃ探せばあるんですよ。例えばミシェル・ビュトールの「心変わり」とか。他にも、叙述トリックの仕掛けとしてのミステリ小説など、極まれに見かけます。

とはいえ、多くは「あえて二人称に挑んだ実験的小説」だったりします。「実験的」という単語が付くこと自体、二人称小説が存在しないこと前提になってます。

さらにいえば「一人称、三人称小説って例えば何?」って聞かれれば数多が回答として挙がるのに、二人称小説だと大抵「心変わり」のみが挙がることも、二人称小説が如何に特異な存在なのかを表しています。

二人称小説は書きにくい

なぜ二人称小説は敬遠されているのか?僕は作家では無いので断定できないんですが・・・その昔に聞いた、なるほどと思った事があります。それは、読み手の考え方と小説中の「あなた」の考え方にズレがあると、読み手自身の体験として受け入れられにくい、という意見です。

例えば、先の「走れメロス」のワンシーンについて、主語を「メロス」から「君」に変えて見ましょう。すなわち「走れ君」。

・・・聞いて、君は激怒した。「呆れた王だ。生かして置けぬ。」
 君は、単純な男であった。買い物を、背負ったままで、のそのそ王城にはいって行った。たちまち君は、巡邏の警吏に捕縛された。・・・

 いやいや、僕はこんな短気じゃないし、無鉄砲に侵入したりなんかしませんよ。しっかり計画立てて夜襲するとかでしょ。

ほかにも、妹の結婚式に出席した、その夜のことなんかも、

  ・・・君は笑って村人たちにも会釈して、宴席から立ち去り、羊小屋にもぐり込んで、死んだように深く眠った。
 眼が覚めたのは翌る日の薄明の頃である。君は跳ね起き、南無三、寝過したか、いや、まだまだ大丈夫、これからすぐに出発すれば、約束の刻限までには十分間に合う。きょうは是非とも、あの王に、人の信実の存するところを見せてやろう。そうして笑って磔の台に上ってやる。君は、悠々と身仕度をはじめた・・・

いやいや、友の命が掛かっているんだぜ、寝ているんじゃないよ!しかも寝坊かよ!大丈夫じゃないよ!なにその訳わかんない根拠!のんきに身支度なんかしてなくて、さっさと行けよ!ていうか、身支度って何だ?ひげそりとかかよ!

・・・とまあ、これを「僕」自身の体験として受け入れるには、行動原理が違いすぎて無理なのです。

二人称小説の正当進化がゲームブック

というわけで、二人称小説は読み手が納得しながら読み進めるのが難しい。読み手の体験だと断言している以上、二人称小説は、作り手と読み手の双方が対等となって物語を進めていくべき。しかし、読み手が情報を提供する間も無く、どんどんと話が進んでいってしまう・・・

この問題を上手に解決したのが、ゲームブックです。

ゲームブックは、物語の合間合間に挟まれた選択肢(行動)によって、読み手の考えを取り入れることができます。「君ならどうする?」と作り手が問えば、「僕ならこうする」と読み手が答え、それによって結果が変わる・・・

例えるなら、作り手と読み手がテニスのラリーをしているようなもので、ラリーを続けながら一つの作品が出来上がるのです。

ゲームブックは、二人称小説の正当進化なのです。

ってことは「二人称小説=ゲームブック」?

さて、上記のポイントをおさらいすると「ゲームブック以外だと二人称小説は殆ど無い」「ゲームブックは二人称小説の正当進化である」となります。

なら「二人称小説=ゲームブック」って定義しちゃってもいいよね?だって、無いんでしょ。

というのが、僕の主張であり、ゲームブック観でもあるのです。

そもそも、ゲームブックは小説か?

ここまで書くと絶対に「ゲームブックは小説じゃないよ」っていうツッコミが入ります。

いやいや、ゲームブックは立派な小説ですよ。皆さんがどう思うかはさておき、僕にとっては。だって、作り手が文章で表現した世界(思い、体験)に、読み手が入り込む、他の小説となんら変わりませんよね。

ゲームブックとは分岐がある小説であり、文学なのです。

さいごに

ゲームブックの一ファンとしての考えを述べさせて頂いたんですが、ここらへん、ゲームブック作家やゲームブック以外の作家がどう思っているのかは、ちょっと興味があるところ。

「人称で小説をカテゴライズするな!」とか「ゲームブックの楽しみ方はそうじゃない!」とか、言われそうだな。

 

という訳で、ゲームブックをこういう観点で捕らえても、面白いんじゃないでしょうか。

 

 

 

 

LINEゲームブックbotを開発しました

みなさま。はじめまして。

いきなりですが、僕が開発したbotのPRをさせてください。

f:id:tama-gb:20170214022215p:plain

スマホの方はこちらのリンクから

友だち追加

PCの方はQRコードスマホでかざしてください(上の画像と同じです)

このbotの説明は、下記のQiitaの記事を参照してください。

qiita.com

背景

2016年2月現在、LINE MessagingAPIを利用したBotのコンテスト(Award)が開催されています。僕の勤務先がこれに応募していて、同僚が上記とは別のbotの開発を頑張っているのですが、ある日に僕は閃きました。

「LINE Botって、実はゲームブックとの相性が最高なんじゃないかな」

もともと僕はゲームブックのコレクションが趣味で、それなりに根拠があっての考えなんですが(後々に記事にしたいなぁ)、とはいえ殆どプログラミングなどやった事が無かったので、悪戦苦闘しながら難産の末、産み出されたのが本botです。

せっかく作ったので、いろんな人に触ってもらって、「スマホゲームブックもいいね!」とか「やっぱりゲームブックは紙じゃないと!」とか色んな意見が欲しいなーと思い公開しています。

なので、もちろん無料です(PHPサーバ代が掛かるので赤字・・・)。

あわよくばAwardに個人で応募して賞きn・・・ゲフンゲフン。

このブログの位置づけ

ということで、PRのため上記のQiitaのページを作成したのですが、Qiitaって技術者同士の情報交換という意味合いが強いので、例えばQiita上で「ジャパニーズゲームブックの最高峰はドルアーガ3部作で相違ないか」なんてことは話せないのです。

なので、ゲームブックのこととか、ゲームブックに全然関係ないこととか、ここで書いていきたいなと。

月並みですが、以後よろしくお願いします。